2008年 06月 05日
「セニドエム」 |
それともSですか?
僕はMです。
ドMです(笑)
一般にはサディスティックとマゾヒストの頭文字として認識されているようですが。
ノンノンノン。
僕の場合の解釈は少し違います。
サービスのS
そして満足のM。
サービスしたいから色々しちゃうし(笑)
満足したいから色々された~い、と(笑)
そうなんです。
そーゆー意味でドMなんです。
決してマゾヒストのMではござんせん(笑)
Mんぞくできてません。
Mたされてません。
音楽鑑賞が趣味だという女性に出会いました。
僕もこう見えてクラシックが大好きです。
だもんで、嬉しくなって
カラヤンとか最近じゃムーティーめっちゃいいよねぇ
てゆーたら
あーあの右から左へ受け流す人でしょ~
ってそれムーディー。
ムーディー勝山。
僕がゆーてるのはムーティー。
リカルド・ムーティー。
カラヤン亡き後、帝王と呼ばれているイタリアの指揮者のことなんだけど・・・
日本美術が好きだという女性に出会いました。
僕もめちゃめちゃ日本美術が好きです。
だもんで、嬉しくなって
若冲とか琳派めっちゃいいよねぇ
てゆーたら
リンパ?風邪ひいた時に腫れるところ?
それリンパ線。。。
僕がゆーてんのは尾形光琳や俵屋宗達の琳派。
琳派知らない?
じゃぁ若冲は?
ジャクチュウ???
・・・・・・・・・。
もうノリツッコミする気にもならへんわ。。。
美食家だという女性に出会いました。
僕も美味しいもの食べるのめっちゃ好きです。
だもんで、嬉しくなって一緒に食事に行きました。
あ~私、生魚苦手なんだよね~。
と、お鮨屋さんで言われました。。。
はぁ?!
ジブンナニシニキタン。。。
ココ、オスシヤサンダカラオサカナイガイナイジャン。。
もっと早く言えっ!
ってか、帰れっ!!
ハウス!!!
お箸を上手く扱えない子も多いです。
好き嫌いを食のこだわりだと勘違いしている子も多いです。
美食というのは美味しいものを食べるという意味だけではなく
美しく食べる、美味しく食べるという意味もあると思います。
知らないということ。
知らなければ、それはそれで幸せなのかもしれません。
怖いもの知らずという言葉があるように
怖いものを(ナニモ)知らないから怖くないだけであって
世の中のことを解ってくるにつれて
そんな感情はおのずとなくなるものです。
若気の至りという言葉ですませてはいけないのでしょうが
かつて僕がそうでした。
知っているのと、知らないのでは天と地ほどの差があることだってあります。
先日京都滞在中に、とあるお偉いさんに
美術館でキョウサイ展やってんで~と言われました。
キョウサイ。
河鍋暁斎。
狂斎ともいい、江戸時代の狩野派の流れをくむ画家のことです。
たまたま知っており(ほっ)
「河鍋暁斎やってるんですか~」
と、返すことができました。
でも、もし僕が暁斎を知らなかったらどうでしょう。
キョウサイ???
誰ですか???
なんて聞き返そうもんなら
きっとその人の中で
あーこいつは暁斎も知らへんのか
となってしまったでしょう。
こいつには美術、芸能の話はできひんな、と。
でも、逆に暁斎を知っていたからといって
お~こいつ暁斎知っとんねや、よう勉強しとんな~
とはならないわけです。
知っていることが前提であって
なにも特別すごいことでもなんでもないのです。
世の中における大半のことがそうだと思います。
知っているということを大前提に成りたっていると思います。
ですから、知らないということは
理解ができないということであり
おもしろくないのも当然だと思います。
先日、お金持ちの友人が
京都の嵐山の吉兆に行かれたそうです。
おい、二代目、吉兆5万もすんのに全然美味しくなかったぞ!!!
と言われました。
その友人には大変失礼ですが、そりゃそうだろうと思いました。
吉兆に限らず料亭が高いのはいい食材を使っているからだけではありません。
掛け軸や器やお庭、そういったしつらいにお金がかかっている為
その分の代金も含まれているのです。
ですから、掛け軸が人間国宝の誰々であるとか
器が乾山であるとか、 魯山人であるとか
仮に初見で解らずとも、
聞いて認識できる程度の知識さえあれば
全然大丈夫だと思いますが
そういったことが解らなければ、
おもしろくないのは当然なのです。
(なので僕にはまだ吉兆は早いと思い、足を踏み入れてません)
同じことが和菓子でもいえます。
ホームページにおいて僕の作った御菓子の写真をいくつか公開しています。
その写真を見てある子に
私の方がセンスがあると言われました。
同業者や料理人にではなく、素人の子に。
とてもセンスのある子でしたので
その言葉を素直に受け止め、さすがだなと思っていたのですが
フタをあけてみれば何も知らないがゆえの発言でした。
彼女はきっと御菓子のビジュアルだけを見てそう発言したのでしょう。
でも御菓子には見た目だけでなく、菓銘から連想させる意味もあるのです。
「三夕」という御菓子を作ったことがあります。
「三夕」と書いて「さんせき」と読みます。
秋の夕暮れ。と結んだ新古今和歌集の三つの名歌↓のことを総して「三夕」と言います。
さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮 寂蓮法師
心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮 西行法師
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮 藤原定家
この3つの和歌を知らなくても「三夕」と聞いただけで
秋の夕暮れのことだなということが解らなければ
なんのことやらさっぱりなわけです。
そのことを踏まえずに見た目だけでセンスないと言われても・・・。
どっちかというと和菓子はめちゃめちゃハイセンスだと思いますが。
その分、食べる方の教養も問われる怖いもんなんです。
ただ単に、わ~きれ~、美味しい~だけではないのです。
ワインだってそう。
絵画だってそう。
外国人だってそうでしょう?
その方の国の言葉を知らなければ解りあえるはずもないわけで。
「知らない」ということは、とっても悲しく、とっても恐ろしく、とってもモッタイナイ。
でも知っていればそれだけで会話や世界が何倍にも何十倍にも広がる。
決して他人様のことをどーこー言っているわけではございません。
自分自身が何の世界においても「知らない」ということに対して
とても不満を抱いており
知識や教養、探求心に満たされておりません。
若いからということは全く理由にならないと思います。
満たされたい。
それはこれからの人生において一生のテーマ。
きっと満たされることなどないのでしょうが。
だからこそ人生はおもしろい。
背にドエム。
by tesshin2daime
| 2008-06-05 00:43
| 思ふこと